湘南電車を見下ろす国府津の丘で育ちました
「二人は国府津で下りた。そこまで行くと余程温暖だった。停車場の周囲にある建物の間から、二月末でも葉の落ちないやうな、濃い黒ずんだ蜜柑畠が見られる。寒い方からやって来たお新は暖国らしい空気を楽しさうに呼吸した」
島崎藤村の『船』(明治44年時事新報に掲載)にも描かれた国府津。
神奈川県小田原市の東部に位置し、相模湾に面した温暖な地です。
海岸線を西湘バイパスや国道1号線、JR東海道線が走り、みかん栽培が盛んな丘陵地帯からは
左に三浦半島や房総半島、正面に伊豆大島、右手には伊豆半島、箱根・足柄連山、富士山までが臨めます。
明治時代から別荘が建ち多くの文化人が往来
国府津は、第15代将軍徳川慶喜が避寒地として晩年を過ごしたことでも知られています。
その後も明治・大正・昭和にかけて多くの文化人が別荘を構えました。
田山花袋、北原白秋、尾崎一雄、菊池寛、志賀直哉、谷崎潤一郎、徳富蘆花、山本有三、村上春樹などの
多くの著書に「国府津」でのシーンが登場。また、国府津駅近くの老舗旅館「国府津館」には、
この地を訪れた澁澤栄一、西園寺公望、山本五十六などの書も飾られています。
山に囲まれ海に開いた、みかん栽培に絶好の地形
ここに暮らし、また訪れた文化人の多くも食べたであろう
国府津のみかんは、主に丘陵の南斜面で栽培されています。
駅から少し歩いて坂を上れば、
ほどなく道の両側にみかん畑が広がります。
上空から見ると、箱根・足柄連山から丹沢山系に囲まれ、
海に開いた南側からの陽光と海面の照り返しや潮風を受ける地形で、
水はけもいい。
これは、みかん栽培にも絶好のロケーションといわれていて、
そこで育った濃厚かつみずみずしい国府津のみかんは
明治時代から人気があったそうです。
甘さ全盛の現代に、むかしながらのみかんを作り続ける
もちろん、国府津は今でも全国10位(平成21年)の生産量を誇る神奈川県の
みかん収穫量の一端を支えています。
でも、甘さを求めるマーケットにあって、
ウチでは今でも少し酸味がある「むかしながらのみかん」にこだわっています。
甘さを目指すことだけが努力ではありません。
この土地で生まれ育ったものをしっかり守りながら、クオリティをあげていくことも大切にしています。
そのための努力なら誰にも負けません。
少し酸っぱいみかんの味は、国府津の土地や歴史、そして人という背景があってこそ。
最近はそれを「懐かしい」「昔ながら」「こんなのを探していた」と言って喜んでくれる人が増えてきました。
みかんの産地が実は東京からたった1時間ちょっと
島崎藤村をはじめかつての文人たちが描いた国府津は旅情豊かな遠隔地のような印象ですが、
今や東京から電車で1時間強、実は“通勤圏”でもあります。
だから、「むかしながらのみかん」がどんな場所で、どんな人たちが、どんなふうに作っているのか、
その気になればヒョイと見に行くことだって可能なのです。
顔が見える距離で栽培しているからこそ、安心して食べることだってできますよね。
オレンジ色と緑色の懐かしい湘南電車の色は、みかん畑がモチーフともいわれています。
その湘南電車を見下ろす丘に実った国府津の「むかしながらのみかん」を一度召し上がってみてください。
ノスタルジックなだけではない、みかん本来の味がするかもしれませんよ。